「数々の才能あるタレントを輩出した、ジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません」
山下達郎は、高校時代からずーっと聞いている。最新作が出れば、きっと手に入れる。長らく続く日曜日のFM東京からの名物番組も、プノンペンでもしっかり聞いている。2021年5月には、このブログで『山下達郎のサンデーソングブックがプノンペンで聴けてしまう、幸せ・・・・・云々』というタイトルで書いたりもしている。
だから、達郎さんからすれば降ってわいたようなジャニーズネタへの巻き込まれと、そのことに対する彼自身の言及も、耳にしている。
ジャニーズ創業者の子どもたちに対するパワハラ、セクハラ、性的虐待の詳細は、あまり読んではいない。山下達郎がジャニーズと密接なかかわりがあったということも、これまで特に意識はしてこなかった。
以前、達郎氏がジャニーズ創業者に対して尊敬の意を語っていたことも、今回の“騒動”でふーんそうだったんだぁと知った。
「ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと社会的、倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題。」
今回の彼の言葉で、やっぱり気になったのは以下の表現だ(一字一句正確ではないかもしれませんが、主旨に違いはないはずです)。
児童への性的虐待を容認するということではけしてない。ジャニーズ創業者によるそのような行為が本当にあったとするならば、第三者機関の設置などで真相を解明して・・・・・
達郎さんは、このようなことをラジオで語った。でもさ、それは「本当にあった」ことなのでしょう? 実際、すでに被害者自身が声を上げている。けして真相は闇というような事案ではない。では、達郎さんは性的虐待を行ったジャニーズ創業者を今どう思うのか? それ(達郎さんがジャニーズ創業者を尊敬する理由、具体的には才能あるタレントを世に出し、素晴らしい音楽を作ることに貢献してきた)とこれ(自らの立場を利用しての弱者への性的虐待、性的強要)とは別なのか否か。
達郎さんにすれば「嘘だといってよ!」と、すでに亡くなったそのジャニーズ創業者に声掛けたい気分だろうとしても。でも嘘ではない、という現実に対して、どう語るか?
「ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めるとして、そのジャニーさんが性加害を行ってきたことを踏まえて、達郎さんは何を語るか?」だったのです。でも、達郎さんはジャニーさんへの敬愛と、社会的一般論としての性加害はダメ、とを並列して語るだけだった。つまり、何も語っていない。それは、被害者から距離を取るということです。それこそ、すでに語り始めている被害者を目に入れることはあえてしない。やっぱり、ちょっと違うんじゃない、達郎さん?
「私の人生にとって一番大切なことはご縁とご恩です」
開発業界は、やっぱりセクハラ、パワハラから自由ではない。特に、国連を始めとする国際大手国際機関の学歴社会・階級世界は、どうしたって上から目線を醸成しがちだ。また、支援する側と支援される側という構造も、強者と弱者の関係を内在している。だから、油断しているとすぐにそういうハラスメントが生まれるのだろうと思っている。(そのことを、やはり当ブログの以下に書いたことがあります。よければ読んでみて下さい)
援助におけるハラスメントの脅威(今回は、真面目です) – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com)
例えば想像してみる。自分は直接の知り合いでないにせよ、この援助業界で素敵な仕事をした人がいるとする。僕はその人の仕事に敬意を感じている。
その人が実はパワハラやセクハラで他者を軽んじ、虐げていたという事実が明るみに出たとする。さて、僕はその人の仕事への敬意を維持できるだろうか?
こう書いて思い出すのは、国際報道写真家の広河隆一氏だ。彼のパレスチナやチェルノブイリでの写真報道や、その著作を僕は敬意を持って手に取ってきた。しかし、彼の自身の強い立場を利用した女性への加害を知った今、同じ敬意を維持して彼の仕事に接することは、やはり難しい。
もっと身近なケースならばどうだろう? 僕には、ご縁があり、さらに恩や義理を感じている方が何人かいる。あの人がいなかったら、今の自分はなかったというようなことは、これまで何回かあった。そして、彼らは尊敬できる仕事仲間でもある。
もし、そんな方々が、どこかでセクハラやパワハラなどを行ってきたとしたら。そして、それが明るみに出たとしたら。それこそ「嘘だと言ってよ」という気分に僕はなるだろう。
おそらく個人としては、その人との関係を絶つということはしないだろうと思う。人は誰でも間違ったことをしてしまうことはあり得る。僕もそうだ。だから、恩と義理のある方々を、僕は嗜(たしな)めることはしても、こちらから縁を切るというようなことはしたくない。
けれども、その人に「罪はつぐなってね」と伝えるだろう。やってしまったことは、なしにはならない。だから、きちんと尻ぬぐいはしたほうがいいと思うし、その人にもそう伝えたい。そのうえで、可能なら(書くのは簡単なことだけど)その人の立ち直りを見たいし、もちろんその人が傷つけた人たちの再生も祈りたい。
「本当にあったとすればもちろん許しがたい・・・・・・(本当にあったかどうかを私は知りえた立場にないわけですし…)」
達郎氏の場合、ジャニーズ創業者はすでに亡くなっている。
だから、もし達郎氏がジャニーズ創業者に恩や義理を感じているのであれば、今、達郎氏ができることは、被害者を支援することではないのだろうか? それが、感じていた恩や義理の返し方なんじゃないのか? そんなふうに思っているのだけれど(もしかしたら達郎さんは、すでにそういうことを匿名でされているんじゃないかとすら、期待してたりもする)。
「もし、それが本当だとすれば」という今回の達郎氏の言葉は、やはり被害者に寄り添う気持ちは感じられない。すでに被害者は声を上げている。その声に対して「本当なの?」と達郎氏は思っているのかしら? それとも、自分には関係ないこと?
今回のことに関して言えば、せめてもの救いは達郎さん自身の行為についてのことではないわけです。彼が性虐待を行ったわけではない。それを見逃したわけでも(多分)ない。だからさ、確かに達郎さんにとっては思わぬところから飛んできた、礫だったかもしれない。その気持ちはわからないでもない。それでもね。
「言い直してよ、達郎さん」、僕にはかなりそういう気分があるのです。これからも彼の曲を心から楽しめたらいいのだけれど。もう一度書いてみる。「言い直してよ、達郎さん」


















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